キリスト教における虐殺

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このページの最終更新日: 2024/02/14

  1. 概要: キリスト教における虐殺
  2. 聖書における虐殺の記述
  3. キリスト教は虐殺をどう正当化しているのか

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概要: キリスト教における虐殺

キリスト教は神の愛を前面に押し出した宗教だが、虐殺を行ってきた歴史もある。事例と解釈などをまとめたページ。

私は ふしぎなキリスト教 (Amazon link) という本をきっかけに、この宗教の歴史的側面に興味をもったので、このようなページを作っている。まだこの宗教についてちゃんとまとめたページはないが、「ふしぎなキリスト教」の感想 のページなども参照のこと。


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聖書における虐殺の記述

キリスト教の経典である聖書 (旧約聖書) にも、多くの記述がある。とくに、ユダヤ人がカナンの地に入植するあたり、申命記、ヨシュア記に多い。基本的には他の民族を滅ぼして入植したわけであるが、その様子はまさに虐殺であった。

たとえば、以下の記述。新共同訳・申命記第 2 章、31 - 37 節 (1)。

31 主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたにシホンとその国を与える。それを取るために占領を開始せよ。」

32 シホンは全軍を率いて出撃し、ヤハツで我々を迎え撃とうとしたが、33 我々の神、主が彼を我々に渡されたので、我々はシホンとその子らを含む全軍を撃ち破った。34 我々は町を一つ残らず占領し、町全体、男も女も子供も滅ぼし尽くして一人も残さず、 35 家畜だけを略奪した。それだけが、我々の占領した町々の戦利品であった。

36 川沿いの町、すなわちアルノン河畔のアロエルからギレアドに至るまで、我々の手に陥らなかった町は一つもなかった。そのすべてを我々の神、主は我々に与えられた。37 ただし我々の神、主が禁じられたアンモンの人々の領地、すなわちヤボク川沿いの全域と山地の町々に、あなたは近づかなかった。


申命記はモーセの言葉をまとめた書であり、「わたし」はモーセを指す。この部分は、モーセがイスラエルの民に対して彼らが辿ってきた道を振り返っているもので、「あなた」はイスラエルの民のこと。

要するに、神の命令に従って子供まで全て殺した ということである。これはごく一部で、他の多くの街も似たような形で滅ぼしている。訳によっては 聖絶 という言葉を使っているものもある。

男を殺し、女子供を捕らえて帰ってくると「なぜ皆殺しにしない」と神に怒られたとか、この聖書の記述が、アメリカ先住民の迫害を正当化したとか、この問題にはさまざまな論点がある。引き続き追加していく。

キリスト教は虐殺をどう正当化しているのか

キリスト教がこの虐殺をどう正当化しているのか興味があったが、残念ながら 基本は触れずにスルー であるようだ (2)。あまり残酷な面には触れず、なんとなくぼかすというのがほとんどの解説書における手段である。

いくつかの解説書における記述が 文献 2 にあるので、興味のある方はどうぞ。

虐殺されたのは邪悪な民だったという論点

キリスト教信者がよく使う理由づけである。日本人には納得し難い理由であるためか、文献 2 を見た限りでは、そこに挙げられている日本語の解説書でここまで言い切っているものはないようである。

David Pawson という人の解説では、はっきりとこれを言い切っているようである。つまり、虐殺された側の民は邪悪であった。この章は、むしろ「ユダヤ人は特定の人との対立を避けた良い人々であった」のような解釈である。対立を避けた記述は、上記の 37 節などに書かれている。

滅ぼされた民には赤子もいたはずだが、彼らも含めて全て邪悪だったのか、そもそも邪悪なら殺してもいいのかなど、色々と問題のある主張であろう。世界に数十億人も存在するキリスト教徒が「神の声に従えば虐殺をしても良い」と思っているなら、非常に恐ろしいことである。


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References

  1. Executive Committee of the Common Bible Translation 共同訳聖書実行委員会 1987,1988.
  2. 聖典の暗闇 #25. Link: Last access 2022/11/13.

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