「ふしぎなキリスト教」まとめ 1

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このページの最終更新日: 2022/10/31

  1. はじめに
  2. 二段ロケット構造
  3. 成立の歴史
  4. なぜユダヤ人はヤハウェを捨てなかったのか
  5. 原罪とは
  6. 全能の神がいるのに、なぜ悪があるのか
  7. キリスト教の成立
  8. 東方教会と西方教会
  9. 神学と哲学・自然科学
  10. まとめ

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はじめに

この ふしぎなキリスト教 (Amazon link) という本が大変おもしろかったので、概要をまとめてみた。あまり興味がなく、飛ばした部分もあるので、あくまで自分用のメモ。

これらのページをアウトラインとして、キリスト教に関する内容を追加していきたい。ただし、この本には 批判もある ようだ。内容がどの程度信頼できるかどうか、私にはまだ判断できないが、留意しておきたい。


二段ロケット構造

キリスト教は、ユニークな「二段ロケット構造」をしている。つまり、キリスト教はユダヤ教から発展したものだが、ユダヤ教を否定していない。違いは Jesus のみ。旧約聖書、新約聖書という 2 つの聖典があるのも独特。ごく大雑把に書くと、違いは以下のようになる。

ユダヤ教

キリスト教

聖典

旧約聖書

新約聖書

救われるのは

ユダヤ人

神を信じる全ての人


なお、キリスト教、ユダヤ教のような一神教では、神は基本的に絶対で恐ろしいものである。人々は神と契約を結んで守ってもらう立場。多神教の神は、もっと人間的。

ユダヤ教では、神と人々の間にモーセなどの預言者がいたが、キリスト教では誰もが Jesus を介して神と直接コンタクトすることができる。

成立の歴史

ユダヤ教が成立したイスラエルは、エジプト、メソポタミアという 2 つの強国に挟まれた弱小地域である。ユダヤ人は、BC1200 - 1300 ごろ、エジプトから脱出してカナン (現在のイスラエル周辺) に入植した。

BC18世紀

メソポタミア国家成立、ハンムラビ王

BC16世紀

エジプト

BC1270ごろ

「出エジプト」エジプトに囚われていたユダヤ人が、モーセの導きによって脱出し、カナンに入植


このとき、ユダヤの民が信じていた神が ヤハウェ、つまりユダヤ教およびキリスト教の神である。もともとは、火山などを象った破壊、怒りの神だったようだ。

カナンの先住民にも彼らの神がおり、ヤハウェは多くの神の中の一人にすぎなかった。ユダヤ人は、先住民と戦うためにヤハウェを信じ、また他の神への信仰を禁止した。ここから、1500年ほどかけてユダヤ教が成立していった。

なお、キリスト教で悪魔扱いされている バアル神 は、カナン先住民に信仰されていた嵐と慈雨の神である。写真は、ルーブル美術館に所蔵されているバアル神の像 (Public domain)。

バアル神の像
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なぜユダヤ人はヤハウェを捨てなかったのか

ユダヤ人は、カナン先住民の中に割り込んでやっていくために戦う必要があり、そのために強い信仰の対象が必要だったというのは、なんとなく理解できる。しかし、ここで問題になるのは、ユダヤ人はその後も負け続けだった ということだ。

火山、怒りの神のヤハウェは一見すると強そうだが、ユダヤ人をあまり守ってくれなかったのである。ユダヤ人から見捨てられても良さそうなものだが、この本では続いて「なぜユダヤ人はヤハウェを捨てなかったのか」が説明されている。

その前に、簡単にユダヤ人の歴史をまとめておく。旧約聖書の内容で、上記の年表 の続きである。

カナンの地に入植したユダヤ人は、ダビデ、ソロモンなどの王が出て反映し、その後 2 つの国に分裂する。南のユダ、北のイスラエル。

BC597 - BC578

北のイスラエルは、やがてアッシリアに滅ぼされる。南はバビロンに連れ去られれる (バビロン捕囚、絵は Public domain)。なお、このとき代わりに北のイスラエルに入植し、だんだんユダヤ教に改宗していったのがサマリア人。後に差別された。

バビロン捕囚

BC538 ごろ

バビロン捕囚から解放され、いくつかのグループができる。


バビロン捕囚から開放されたあとのグループには、以下のようなものがあった。

  • サドカイ派: 神殿で儀式を行う。のち、Jesus の処刑後に神殿を壊されて衰退。
  • パリサイ派: 律法を重視する。律法学者は「ラビ」と呼ばれ、のちにユダヤ教を成立させる。
  • 預言者: モーセなど。

著者らは、このバビロン捕囚がユダヤ教の基礎を作ったと考えている。すなわち、国家としてのイスラエルは解体されても、律法を守った独自のライフスタイルを維持している限り、民族としてのユダヤ人は存続する という考え方である。

民族としての identity を保つために、散り散りになった人々でも共有できるものが必要だった。それがヤハウェであり、律法であった。神殿はなくなり、預言者は実際に見ないと人々の中心になりにくい。パリサイ派が力を伸ばすのと、ユダヤ教の成立が同調しているのは理解できる。

これと同時に、「なぜ信仰しているのに負けたのか」を説明するために、「契約」という概念が固まってきたようだ。

原罪とは

これ以降は、ユダヤ教、キリスト教の重要な概念が説明される。

原罪はキリスト教独自の考え方らしい。ユダヤ教にはこの概念はなく、現在と禁断の木の実の間にも関係はない。

イエスが死んだらなぜ人類の罪が贖われたことになるのか、聖書にははっきりとした記載はないらしい。こんな回りくどいことをせずに、ただ赦してやればいいのだが、神も契約に縛られているので、それはできないようだ。

全能の神がいるのに、なぜ悪があるのか

これは私もずっと疑問に思ってきたことなのだが、結局は 試練 ということらしい。残念ながら、これはあまり納得できる説明ではなく、私にとっては「全能」を仮定してしまった一神教の限界とも思える。

まず、「なぜ悪があるのか」については、古くから多くの論法があるようだ。つまり、一神教を受けて入れている人にとって根本的かつ大きな問題だったということ。

たとえば、ノアの方舟のエピソードでは、人間が堕落しているから神がお仕置きしたということになっている。しかし、そもそも人間を作ったのは神である。不完全なモノを作るんじゃねえ、ということで、これは神の責任を人に押し付けているとも考えられる。

ヨブの話にも、人々が持っていたであろう疑問が友人の言葉として書かれている。なお、一神教でなければこの疑問は基本的に生じない。多神教なら、良い神もいるし悪い神もいる。そこで、グノーシスという悪の神を想定する二元論もあったようだ。

仏教では、自然現象の背後に神はいないので、理由は必要ない。仏は、自然現象の法則をよく理解したもののことをいう。

一神教は、理由なしに神に愛される人と愛されない人がいることを認めないと成り立たない。カインとアベルの話など。

キリスト教の成立

新約聖書の中心は、イエスの行動を説明した福音書ではなく、パウロの書簡である。時期的にもこっちの方が先。現在のキリスト教の基盤を作ったのはパウロと言っても良いか。

イエスの文献記録は聖書の一系統のみで、クロスチェックすることができない。例えばイエスを処刑したというローマ側の記録はない。しかし、著者はイエスは実在の人物であったと考えている。

一番古いマルコには復活の記述はない。墓が空っぽだったというところで終わっている。後世にいくほど詳しくなり、これは復活の逸話が付け加えられていったことを示唆する。

聖書の中では、イエスは自分を「神の子」とは言っていないらしく、メシアであることについても慎重な言い回しをしている。神の子と決めたのはパウロ。三位一体も後世の仮説であり、聖書では明確には説明されていない。

パウロは生前のイエスに会ったことはない。

ユダの立場から書かれた、「ユダの福音書」がある。実際、ユダが裏切らなければ預言は成就しなかったわけだから、ユダはイエスに次ぐ功労者と言える。ユダの裏切りはイエスに頼まれたことになっているらしいが、カトリックはペテロの系列なので、これを認めなかった。

キリスト教には 公会議 というものがあり、ここで教義や聖書の解釈を決定する。聖書は文字通りには読めず、解釈が必要である。三位一体もこれで、パウロの言葉を神の言葉にするために holy spirit が考え出され、これを権威づけるために三位一体の概念が作られた。イスラム世界では全体一致が原則だが、キリスト教は多数決もある。

これは個人の考えだが、議論を何か尊いものと考える西洋の慣習は、ここにも由来しているのではないかと思う。

矛盾を孕んだキリスト教の教義のせいもあり、大航海時代までは合理的なイスラム世界の方が世界をリードしていた。

東方教会と西方教会

3 世紀から 5 世紀ぐらいに、キリスト教は大きく東と西に分裂した。きっかけは、キリスト教をサポートしてきたローマ帝国の分裂 (395 年)。これにより、東西合同の公会議が開けなくなり、教義の解釈がだんだんと異なっていった。

東方教会 (ギリシア正教)

西方教会 (ローマン・カトリック)

言語

ギリシア語、布教の際には現地の言語を使う

ラテン語以外は認めない

政治と宗教

リーダーが一致 (皇帝教皇主義)

リーダーが異なる


世界の歴史に大きな影響を及ぼしたのは、西方のローマン・カトリックであった。西側はローマ帝国もすぐに滅亡し、キリスト教は政治的な後ろ盾をもたなかったのに、なぜ発展したのか?

ラテン語に固執したことが大きい。東側のように教会が分裂せず、政治的な勢力圏を超えてネットワークを構築。煉獄、地獄などの概念を宣伝し、教会がこれを救えるとした。結婚も神の許可で行われるものとした。これによって、封建社会において教会が必要な存在となった。

この傾向は、のちの宗教改革まで長く続く。

神学と哲学・自然科学

哲学の起源は、キリスト教よりもはるかに古い古代ギリシア。これとうまく融合させた。

神の言葉の一部は、人間にも理解できる。その部分が自然科学であると考えた。つまり、数学、論理学は、人間がやっても神と同じことを証明できる。理性とは、神の言葉や神が作った世界を理解するための人間の能力である。

この考え方は人文科学にも及んだ。アダム・スミスの提唱した市場メカニズム「神の視えざる手」は、たとえではなく本気の神であるようだ。

神の存在証明も神学の重要なテーマだったが、これはうまくいかなかった。

中世に作られた 否定神学 という考えは面白い。これは、「神については、~ ない」という否定的な言い方でしか記述できないというもの。例えば、「神は大きい」と否定せずに記述すると、世俗的なモノと神が相対化されてしまう。これを嫌った。

この考え方は支持されたようであるが、「存在する」というのを否定的に表すことができなかったため、いろいろ議論があった。

15 - 16 世紀、カトリックの主流派に反抗してプロテスタントが登場。経緯、カルヴァン派などの詳細は カトリックとプロテスタントの違い のページに。

芸術への影響。文学への影響は比較的小さかった。主に音楽と絵画。ヨーロッパでは、音楽は宗教音楽をもとに発展。イスラム教では音楽は禁止されたが、キリスト教ではそうでなかった。バッハやモーツァルトまでは、宗教音楽と世俗音楽を両方作っている。ベートーヴェン以降は、市民音楽がコンサートホールで演奏されるようになった。

絵画では、宗教画が発展。偶像禁止なのに宗教画はなぜか許されている。ルネサンス期、カトリックが多くの宗教画を発注。ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロなど。16 - 17 世紀の宗教改革で、プロテスタントが簡素な絵を評価するようになり、宗教画以外も認められるようになった。

まとめ

キリスト教、中国、イスラム、ヒンドゥーはそれぞれ伝統と固有の論理がある。

日本はちょっと特殊で、モノづくりの社会的評価が高く、これはアミニズムと関係がある。一神教とはうまく合わない。また、日本人が無神論的なのは、支配されるのが嫌だから。これらは納得できる説明。

グローバリゼーションとは、キリスト教世界の価値観と、他の文化の深いレベルでの交流。大航海時代、植民地時代には、キリスト教価値観の押し付けで通ったが、現在では他の文化との衝突がおきている。西洋 = 近代の限界、「ポスト近代」。


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